私たちが奴隷ではなく自由人になるためには一週間でどのくらい自由な時間が必要か

ニーチェは著作「人間的な、あまりに人間的な」の中で次のような格言を残している。

『あらゆる人間は、いかなる時代におけるのと同じく、現在でも奴隷と自由人に分かれる。自分の一日の三分の二を自己のために持っていない者は奴隷である。』

現代日本の被雇用者(サラリーマン)は奴隷なのだろうか、それとも自由人なのだろうか。実際に計算して検証してみた。

法定労働時間は1日8時間だ。法定労働時間の定義は「労働者が使用者に労務を提供し使用者の指揮命令に服している時間」で、つまり言葉を選ばずに言うと奴隷として働いている時間ということになる。 (もちろん自分のやりたいことをして楽しく労働している人もたくさんいるだろう。しかし、ここではあくまで法律上の義務が生じるという点から労働時間は自分の自由にならない時間とみなす。)

一般的な例では、1日の労働時間は8時間だが休憩も合わせて拘束時間が9時間となることが多い。日本人の平均通勤時間は往復で約1.3時間*1なのでこの時間も自己の時間と見なせない。そうなると10.3時間が自分の自由にならない時間だ。

厚生労働省によると、健康を維持するのに推奨される睡眠時間はだいたい7時間だ*2。そうすると日中活動できる時間は17時間となる。一週間では119時間だ。労働が平日の5日間行われるとすると、10.3時間が5回の51.5時間が奪われる。すると自分の自由になる時間は67.5時間だ。割合にすると約57パーセントが自分の自由の時間の割合だ。自分の1日の3分の2を自己のために持つには67パーセント以上の割合が必要なので、この場合のサラリーマンはニーチェの定義では奴隷ということになる。

(フリーランスで週4日働くとすると65パーセントだ(惜しい!) 週3日のフリーランスで生活できている人は十分に自由人だと言える。)

ところで、この100年間で先進国での平均労働時間は減少の一途を辿っている*3。あれほど長時間労働が騒がれている日本でもこの50年間で年間の平均労働時間は600時間も減少している(一週間では11時間程度)*4。科学技術の発展による生産性の向上が労働時間の減少に寄与しているのは明らかなので、この先も技術の進歩が止まらないうちは労働時間は減り続ける。そのうち自己の自由になる時間が3分の2(一週間で79時間)を超え、サラリーマンも全員奴隷状態を脱し自由人になれる日が来るかもしれない。

自由を手にした時、私たちは改めて人生における目的の設定、つまり「どう生きるか?」という別の問題を解決しないといけなくなる。

『自分自身に命令しない者は、いつになっても下僕にとどまる。』(ゲーテ)

奴隷状態からは脱出できても下僕のままで一生を終えないように、私たちはまだまだ賢くならないといけないようだ。

そんじゃーね。